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短い夏が訪れた南極では、生き物たちの繁殖活動がピークを迎える【前編】

2021/12/28 10:01

2021.12.00 00:00 更新

太陽が沈まない白夜が続く南極は、短いながらも夏を迎えます。気温が1年を通じてもっとも高くなるため、動物の繁殖行動がさかんになります。今回は、厳しい環境で必死に生きる生き物たちの姿をリポートします。

<本記事の掲載にあたって>


新型コロナウイルスが世界を覆う厳しい状況下、気候変動を始めとする
地球の観測を続けるために、日本を出発した第62次南極地域観測隊。
脱炭素という二酸化炭素排出削減の加速を求められる現在、
南極で得られる環境データはとても重要です。
そして、都市社会の脱炭素化を推進するビルメンテナンス事業者にとっても
この情報は今後の方向性と知識を向上させるために欠かせないと考えられます。
そんな最前線からのリポート「南極からの手紙」をお届けします。


「春がきた」ではなく「夏がきた」

南極は12月に入ると短い夏を迎えます。11月中旬からは白夜になったこともあり、夜中でも昼間のように明るいので時間感覚が狂ってしまいます。ついつい明るいからと夜更かししていると時計が午前1時を指している時も……。
私の場合、白夜では寝ている時に部屋が明るくなるので、目が覚めてしまいます。せっかくの白夜の世界ではありますが、睡眠が途切れ途切れになってしまって疲れが溜まってしまいます。そこで窓に段ボールを貼って暗くして寝ています。

さて、基地のあちこちでは次の隊を迎え入れる準備が進められています。気温も高くなり、日照時間も長いので雪解けも進みますが、さらに重機を使ってガンガン除雪しなければ物資輸送に支障がでてしまいます。一年ぶりに地面を見て「あれ?ここってこんなに斜めだったっけ?」とか「建物2階分の雪がつもっていたのか!」と驚いていました。雪解けの水が川のように道路を流れていますので、ひさしぶりにせせらぎの音を聞きました。


基地周辺で多くの動物が見られる季節

一方、南極の動物たちにとってもこの短い夏は大切な季節です。昭和基地の周りでは夏の間、ウェッテルアザラシとアデリーペンギン、それにトウゾクカモメやユキドリの姿を見ることができます。
これらの生き物たちは、短い夏の間に産卵または出産して子育てをします。そして冬が来るまでに大人と同じくらい泳いだり飛べたりするようにまでに成長し、冬の期間はもう少し暖かい北の方に移動します。そして翌年、夏になるとまたこの地に戻ってくるのです。
アザラシは海氷の上で出産して子育てをします。ここにはアザラシにとっての外敵がいないので、のんびりゴロゴロしながら授乳したり、一緒に昼寝したりしている姿はとても微笑ましい光景です。親アザラシは時々海に潜って食事をしてきますので、氷の割れ目ができやすい島の周りで良く見かけます。そのため私たち観測隊は「アザラシのいるところの氷は割れている」と考えることができるので、海氷上を移動する時は危険予知のよい目印としています。

01 アザラシはメスが子育てをする。オスはその間なにをしているのだろう?(国立極地研究所提供)

アザラシは基本、母親が単独で子育てをします。赤ちゃんの成長スピードはとても早く感じました。たった1週間程度で小さかった赤ちゃんが、どんどん大きく成長してしまっていましたので、かわいい姿はほんの一瞬しかありません。
ある程度の大きさに成長すると、今度は泳ぎの練習が始まります。先に海に潜った母親が氷の割れ目からから一生懸命に子どもを呼んで泳ぎの練習をさせようとするけど、子どもは怖くてなかなか海に入ろうとしません。何度も水面を覗いたり後退りしていたりする姿は人間の子育てでもよく見かける光景と一緒でした。

02 哺乳類なのでお乳を飲んでいる。栄養価が高いのか、どんどん成長する。(国立極地研究所提供)





南極や北極、高山にある氷河など地球の一部に氷河が存在する時代を間氷期と言います。地球上の多くの場所が氷河におおわれた氷期とは違い、温暖な気候が続いています。今はまだ地球は氷河期であることに違いはありません。
 しかし、南極や北極、高山の氷河は融解が止まりません。皆さんがご承知の通り、温暖化の進行によるものです。地球上の氷が少なくなると、地球はこれまで以上に太陽からの熱(太陽エネルギー)を吸収しやすくなります。 これを「アルベド」といい、地表面の反射率とも言えます。地球の赤道付近では20~30%ですが、雪氷に覆われている極地などでは80%に達します。氷河の減少によって、さらなる温暖化の加速に繋がるアイス・アルベド・フィードバックが起きると言われています。

日本の南極観測について

日本の南極観測のルーツは、今から100年以上前の明治45(1912)年に、白瀬矗(しらせ・のぶ)ひきいる南極探検隊によって実施された学術探検にまで遡る。その後、昭和32(1957)年〜昭和33(1958)年に行われた国際地球観測年(International Geophysical Year; IGY)と呼ばれる純学術的な国際協力事業の一環として、閣議決定に基づき、昭和31(1956)年に第1次南極地域観測隊の派遣が決定し、途中南極観測船の引退に伴う中断をはさみつつ、現在まで60年以上も南極観測を続けている。
第62次南極地域観測隊は、昭和基地での観測、特に長期間にわたり高い品質のデータを取得し、広大な南極大陸に展開された国際観測網の一翼を担ってきた定常観測やモニタリング観測、加えて重点研究観測サブテーマ1「南極大気精密観測から探る全球大気システム」で実施する先端的な観測の継続を計画の中心に据えている。そのため新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、夏期間は、観測継続に必要な人員の交代と物資輸送を最優先として計画し、その他の観測・設営計画は、特に継続性が必要なものに絞りこまれた。
これにより、東京海洋大学練習船「海鷹丸」や南極航空網を用いた別動隊は編成せず、南極観測船「しらせ」を用いた本隊のみによる行動となり、「しらせ」の行動も、我が国の南極地域観測の歴史の中で初めて、他国に寄港しない計画となった。

出典:大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所「南極観測」

日本の南極観測の最前線が昭和基地

1957年1月29日、第1次南極地域観測隊によって東オングル島に開設された昭和基地。開設当初わずか4棟のプレハブ建築からスタートした基地は、今やおよそ70棟に拡大し、自然環境への悪影響を最小限に抑えるため、先進の省エネ技術もいち早く導入されている。発電機の余熱を回収して温水として有効利用するコージェネレーション・システムは、1次隊から採用されている。

第62次南極地域観測隊・越冬隊員
伊達元成(だて・もとしげ)さん
担当:基本観測/モニタリング観測 気水圏変動
所属:国立極地研究所南極観測センター

北海道・伊達市にある「だて歴史文化ミュージアム」で市学芸員を務めていたが、子どものころからの夢であった南極地域観測隊参加の機会を得て、民間から隊員採用された。仙台が生んだ武勇の将・伊達成実公に繋がる亘理伊達家20代当主。