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「いつも期待のちょっと上!」を目指して
-人に寄り添うビルメンのかたち-

2025/06/10 09:30

―――まずは、間宮社長のこれまでの経歴について教えてください。

間宮 実は、最初から今のようなビルメンテナンス業界の仕事を目指していたわけではないんです。大学を卒業してからしばらくは、本気で音楽をやっていました。
当時流行っていたヘヴィメタルバンドで、ロン毛でパーマ、ハイライトブリーチまで入れて、ライブをやって……。スーパーの閉店後の定期清掃のアルバイトをしながら夢を追いかけていました。

―――まさにロックな青春ですね。音楽の道から今の業界への転身は、どういうきっかけがあったのでしょうか。

間宮 バンド活動が思うようにいかなくなって夢を諦めたとき、ちょうど音楽仲間でやはり清掃のアルバイトをしていた高校の後輩が声をかけてくれたんです。「うちの会社で新規事業を立ち上げるので、正社員を募集しています。間宮さん、面接に来ませんか?」と。それが株式会社クリーンテックとの出会いです。1996年、29歳のときでした。

―――当時はどんなお仕事をされていたんですか?

間宮 はじめは清掃作業員として、現場で働いていました。現場での経験を積み上げ、そこから徐々に管理や営業の仕事にも関わるようになっていきました。
会社に入って6年経った頃、当時の社長から「会社を分けて任せてみたい」とお声をかけていただきました。クリーンテックでは“分社化”という方針があったんです。社長が「会社を大きくするよりも、小さな会社の集合体にしたい」という考えを持っていました。
もちろん「自分にできるのか?」という不安は大きかったですが、それ以上にこういうチャンスをもらえるなら、チャレンジしてみたい――そんな気持ちでした。

―――独立してからの数年間は、どう過ごされていたんでしょう?

間宮 もう、とにかくがむしゃらでした。朝5時に現場に出て、夜に現場から帰ってきてからは経営の仕事。
休みもろくに取れませんでしたが、「社員たちの生活がかかっている」と思うと、絶対に投げ出せませんでした。独立当時は36歳でしたけど、今思えば若かったからこそ飛び込めたのかもしれません。でも、怖さもありましたし、苦しみながらも、本当に人に助けられてここまで来られたと感じています。

―――経営者としての転機はありましたか?

間宮 2009年ですね。独立して6年経った頃、銀行とのやり取りで「財務諸表が読めていない自分」に気づいたんです。「このままじゃダメだ」と、強く思いました。
そんな時に出会ったのが、小宮一慶さんという経営コンサルタントの方の本です。小宮さんの講演会にも参加させていただきました。講演会では数字の話ではなく、「経営者はどう生きるべきか」という、もっと根っこの話をしていただき、まさに雷に打たれたような衝撃を受けました。
そこから、私は小宮さんの経営塾に通うようになり、自分自身と会社の在り方を見つめ直すようになりました。

―――まさに、再出発だったんですね。

間宮 ええ。ある時、経営者の仲間の社長に言われたんですよ。「間宮さんの会社って、“芯”がないよね」って。理念が曖昧だったんですよね。もちろん、自分なりの思いはありましたし、「お客さまと働く人の満足と感動を共有する」という親会社の理念も受け継いでいました。でも、「間宮孝洋として、何を大事にしているのか?」という自分の言葉がなかったんです。

―――そこであらためて理念を作ることにしたんですね。

間宮 はい。そこからコーチをつけて1年間かけて、理念を練り直していきました。瞑想したり、護摩に行ったり、毎朝お経を唱えたりと、コーチに指導されながら深く自分の内面を見つめることで、何を大事にしてきたかを振り返って行ったんです。
その時に、お客さまに対しても、働く仲間に対しても「期待に応えるだけじゃなく、ちょっと上を目指したい」といつも思っていたことに気づいたんです。それをコーチに話したら、「間宮さん、それですよ」って言われて。
こうして2013年、創業10年目に「いつも期待のちょっと上!」という理念が生まれました。これが、私たちの第二のスタートだったと思います。

―――社員教育では、どのようなことを大事にされていますか?

間宮 “仕事を通じて、最高の自分になってほしい”ということです。人生の大半は仕事の時間じゃないですか。嫌々やるより、自分の成長につながるって思って働けたら、絶対に人生は豊かになる。だから、仕事の中で自己実現を目指せるような環境をつくりたいんです。
社員一人ひとりにとって「ここで働くことが自分の成長につながる」と思ってもらえたら、それが一番の喜びです。そういう会社であり続けたいですね。

業務サポート部 ハッピー課 田村尚久課長

―――「ハッピー課」というユニークな部署について教えてください。

田村 「ハッピー課」は、600人以上いるパートさんたちを「大切にするためだけの部署」です。
例えば、全員の誕生日を必ず手書きのハガキでお祝いしています。最初は私が書き始めたんですけど、今では他の社員もパートさんへお祝いの言葉を書いてくれるようになり、寄せ書きみたいなハガキになっています。
現場で働いてくれている人たちがいるから、会社が成り立っている。これは“当たり前”のことですけど、だからこそ、見過ごしちゃいけないと思うんです。

現場で頑張ってくれているパートさん全員の誕生日に手書きの手紙を送っている

―――なぜそこまでされるのでしょう?

田村 僕自身、昔は役者を目指していたんです。でも、思うようにいかず、偶然アルバイトで入ったのが今の会社でした。
現場管理の仕事をしていましたが全然うまくいかず、怒られてばかりで、「もうやめようかな」と思ったこともありました。
そこで、自分にできることって何だろうと毎日考えていました。その中で、「パートさんたちを大切にしたい」という思いだけは、ずっと揺らがなかったんです。
ドリームプラン・プレゼンテーションという未来の夢を描く世界大会に出させていただいたとき、「自分は何のためにここにいるんだろう」って本気で向き合いました。そして、パートさんたちをハッピーにする「ハッピー課」という形にしていこう、と思ったんです。

共感大賞をいただき、未来の夢だったはずの「ハッピー課」を、間宮社長はすぐに形にしてくださいました。

―――手書きのメッセージ以外にも、さまざまな取り組みをされていますね。

田村 はい。たとえば永年勤続のお祝いを行ったり、パートさんが退職する際は卒業式を行ったりしています。ささやかではありますが、感謝の想いを形にして伝えるようにしています。「ファイヴエーカンパニーで働いてくれてありがとう」と。
これって、数字にも売上にも直接繋がらないことなんですけど、一人ひとりのパートさんへ向けて感謝をお伝えすることはできます。私ができることをやり続け、結果として会社に少しでも貢献できたら良いなと思っています。

間宮社長(左)と田村課長(右)

―――ここ数年では、“就労困難者の支援”にも力を入れていらっしゃいますね。

間宮 はい。2017年頃から、いわゆる「就労困難者」と呼ばれる方たちへの支援を始めました。日本には就職困難者の方が100万人以上いると言われています。精神障がいや発達障がいを持つ方、引きこもりの方など、さまざまな背景の方がいます。
ビルメンテナンス業界は、慢性的な人手不足が続いています。一方で、働きたいのに働く場がないという方も多い。だったら、そういう人たちが安心して働ける“場所”をつくるのが、自分たちの役目なんじゃないかと思っています。もちろん簡単ではないですが、それでも「できることをやる」というのが大事だと思っています。
今では30人以上の就労困難者だった方が現場で活躍してくれています。

―――社員の方が、自ら「こうしたい」と手を挙げる場面も多いそうですね。

間宮 つい先日、新入社員の女性が「障がい者就労支援士の資格を取りたい」と、自ら発表してくれたんです。まだ入社して2ヶ月くらいのタイミングだったんですが、「この会社で、やりたいことがある」という思いを、堂々と語ってくれました。
私たちの会社は、「ただの清掃会社じゃない」。働く人たちが「最高の自分になれる場所」でありたいし、そのステージをつくるのが、私たちの役目です。

社名である”ファイヴエー”とは、働く自分自身とお客さまから”オール5”と”五つ星”の評価をいただけることを目指すことから名付けられた

―――最後に、間宮社長が目指す会社の未来について教えてください。

間宮 「ただの清掃会社」ではなく、「社会課題の解決に貢献できる会社」であり続けたいと思っています。「社会に必要とされる存在」として、社員一人ひとりがやりたいことに挑戦できる土壌をつくりたい。田村課長をはじめとしてうちの社員は会社で叶えたい夢を自分の口から語ってくれます。また、今は就労困難者の受け入れも拡がっていて、特別支援学校からの実習も受け入れています。これもひとつの社会的な役割だと思っています。
今は人手不足も深刻ですが、一方で働く意欲があっても働ける場所がない人もたくさんいる。そういった人たちと、社会、企業を結ぶ“橋”になる存在を目指しています。

これからも「いつも期待のちょっと上!」を目指して、社員全員でひとつずつやっていきたいですね。