太陽が昇らない、極夜の南極昭和基地。 日光を浴びられない生活の中で 「ミッドウィンターフィスティバル」という お祭りを南極中の基地が開催しながら、 憂鬱な気分を吹き飛ばし心身を維持する。

新型コロナウイルスが世界を覆う厳しい状況下、気候変動を始めとする地球の観測を続けるために、日本を出発した第62次南極地域観測隊。脱炭素という二酸化炭素排出削減の加速を求められる現在、南極で得られる環境データは極めて重要だ。その最前線からリポートをお届けする。

12:00 更新

極夜を乗り越えて

昭和基地は5月31日から極夜に入りました。私たちは日が沈まない状態が続いていることを白夜といい、極夜はその反対で太陽が昇らない状態が続いていることをいいます。
太陽が昇らない、といっても真っ暗な夜の状態が続くわけではありません。太陽は地平線の下まできているので、直射日光は届かないものの、空は夜明け前や日没後くらいの明るさになります。しかしその明るい時間はとても短く、明るくなってきたなぁと思ってもほんの数時間で真っ暗になってしまいます。だいたい正午をピークに明るくなるのですが、日の出間近の明るさでそのまま夜になってしまう不思議な世界でした。そのため、極夜期間中はまだ午後3時くらいなのに真っ暗で、なんだかずっと残業しているようでした。
極夜になると、日光を浴びることでリセットされる体内時計が狂いがちです。そのため、メンタル的に不安定になってしまったり、不眠や人間関係がギクシャクしがちになってしまったりすると言われています。はたして自分もそうなってしまうのか……、落ち込んでしまうのか……、そう考えて内心不安(同時にワクワク)を抱いていましたが、そんなことを心配する間もなく、あっさり極夜は終わってしまいました。

【極夜入りした昭和基地】14:30頃でこれくらいの明るさしかない。15時になると真っ暗なので、勤務時間内だけれど残業している気分になる。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【みんなで旗竿作り】野外で使う旗竿は廊下にならんで黙々と作っていく。ルートの目印、そして自分たちの命を守るものなので、頑丈に作っていく。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【車両整備】除雪や野外観測で使用する雪上車は、専用の整備場に運ばれて整備される。車両メーカーから派遣されている隊員によって、一台一台ていねいに整備されていく。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【大切な健康管理】極夜期間中は屋外作業が減るので、運動不足がちになってしまう。定期的な健康診断も行われるが、日頃の健康管理を心がけなければならない。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

極夜を乗り切るワザ

極夜を乗り切るには隊員一人ひとりの性格も影響しますが、やはりみんなで楽しく過ごすことが一番です。そこで極夜には南極中の基地が「ミッドウィンターフィスティバル(MWF)」という学園祭さながらのお祭りを開催して、憂鬱な気分を吹き飛ばすのです。MWFの期間中は支障のない範囲で本来業務もひと休みして、スポーツや屋台、シェフのフルコース料理を堪能して、来るべき極夜あけの激務にそなえ鋭気を養います。昭和基地ではMWFのグリーティングカードを作り諸外国の基地に送りました。各国の基地からも趣向を凝らしたグリーティングカードが届きますが、新型コロナウイルスに負けず、同じ南極大陸で頑張っているのだ、という不思議な一体感を感じました。
極夜の期間中は屋外の作業ができないので、基地内でできる作業をみんなで行います。代表的な作業は「旗竿作り」です。観測隊は野外を雪上車などで走るときにあらかじめ安全なルートを作って、そこを走って目的の場所まで行きます。このルートはGPSでポイントを取っていきますが、目印に数百メートルおきに赤旗のついている旗竿を差していきます。この旗竿は一本一本、隊員の手で作られます。昭和基地はとても乾燥しているので、持ち込んだ竹も乾燥で割れてしまっているものがあります。割れた竹を使ってしまうと風に負けて折れて吹き飛んでしまいますので、よく選んで作らなければなりません。このように来るべき極夜明けの観測に向けてコツコツと準備を整えていくのです。極夜があっさり終わったと感じたのは、日々このような作業やイベントがあったおかげなのでしょう。

【MWFの屋台】廊下にずらりと並んだ屋台。久しぶりにお祭り気分を楽しんだ。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【極寒のドッジボール】でこぼこの雪面に足を取られながらスポーツは、極寒とはいえ汗だくになる。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【かまくらBAR】巨大な吹き溜まりを利用してかまくらを作った。途中、ブリザードで何度も埋め戻されてしまったが無事に完成。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

【かまくらを楽しむ】雪国育ちの隊員も、このときばかりは子どものようにかまくらを楽しんだ。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

ひさしぶりの直射日光

そして7月13日12:00、ついに一か月半ぶりに日の出を迎えました。とはいえ、まだまだ日照時間は短いので50分程度で日没になってしまいます。それでも、直射日光でできる自分の影をひさしぶりに見て、ギラっと眼球の奥に届く日光を感じると極夜が終わったなぁとホッとしました。
日照時間は短いものの、注意しなければならないことがあります。それは「紫外線対策」です。短い時間の日の光でも南極では雪面の反射で紫外線が強くなりがちです。しばらく日焼け止めもサングラスも使っていなかった生活でしたので、そろそろ準備をしておかなければなりません。
昭和基地は極夜が終わると、次のステージに入ります。いよいよ本格的に野外観測に出かけるシーズンに突入します。この原稿を書いているいまも、基地外の観測地点まで向かうルートを整備するために雪上車が出発していきました。そして日本では第63次隊の準備が始まります。世界ではいまだ新型コロナウイルスの影響が続いていますが、第63次隊も無事に南極に到着し、南極観測のバトンがきちんとリレーできるように引き続き全員で頑張っていきます。

【おかえり太陽】久しぶりの太陽が顔を出した。極夜の終わりと同時に、いよいよ野外観測が本格化する後半戦が始まる。無事に乗りきれるよう、ご来光に手を合わせた。撮影:伊達元成、提供:国立極地研究所

様々な場所でエコチューニングを紹介することがあります。その時、初めにお話しすることは、南極大陸の氷床の研究から、地球がかつて経験したことのない温暖化が進行している事実です。
大気中に排出されたCO2は、1年ほどで地球の大気全体に広がります。降雪によって南極の氷床に閉じ込められた大気中の成分を分析することによって、80万年前までの地球大気の状態を知ることができます。
産業革命が始まった250年ほど前から、大気中のCO2濃度は急上昇し、今では400ppmを超えています。少なくとも80万年前から250年前までは、大気中のCO2濃度は200ppm~280ppmの間に抑えられていました。CO2を海洋、大陸、大気間で循環させる地球が46憶年かけて備えてきた自然システムによるものです。これからも南極の伊達さんからのお便りを楽しみにしています。

日本の南極観測について

日本の南極観測のルーツは、今から100年以上前の明治45(1912)年に、白瀬矗(しらせ・のぶ)ひきいる南極探検隊によって実施された学術探検にまで遡る。その後、昭和32(1957)年〜昭和33(1958)年に行われた国際地球観測年(International Geophysical Year; IGY)と呼ばれる純学術的な国際協力事業の一環として、閣議決定に基づき、昭和31(1956)年に第1次南極地域観測隊の派遣が決定し、途中南極観測船の引退に伴う中断をはさみつつ、現在まで60年以上も南極観測を続けている。
第62次南極地域観測隊は、昭和基地での観測、特に長期間にわたり高い品質のデータを取得し、広大な南極大陸に展開された国際観測網の一翼を担ってきた定常観測やモニタリング観測、加えて重点研究観測サブテーマ1「南極大気精密観測から探る全球大気システム」で実施する先端的な観測の継続を計画の中心に据えている。そのため新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、夏期間は、観測継続に必要な人員の交代と物資輸送を最優先として計画し、その他の観測・設営計画は、特に継続性が必要なものに絞りこまれた。
これにより、東京海洋大学練習船「海鷹丸」や南極航空網を用いた別動隊は編成せず、南極観測船「しらせ」を用いた本隊のみによる行動となり、「しらせ」の行動も、我が国の南極地域観測の歴史の中で初めて、他国に寄港しない計画となった。

出典:大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所「南極観測」

日本の南極観測の最前線が昭和基地

1957年1月29日、第1次南極地域観測隊によって東オングル島に開設された昭和基地。開設当初わずか4棟のプレハブ建築からスタートした基地は、今やおよそ70棟に拡大し、自然環境への悪影響を最小限に抑えるため、先進の省エネ技術もいち早く導入されている。発電機の余熱を回収して温水として有効利用するコージェネレーション・システムは、1次隊から採用されている。

第62次南極地域観測隊・越冬隊員
伊達元成(だて・もとしげ)さん
担当:基本観測/モニタリング観測 気水圏変動
所属:国立極地研究所南極観測センター

北海道・伊達市にある「だて歴史文化ミュージアム」で市学芸員を務めていたが、子どものころからの夢であった南極地域観測隊参加の機会を得て、民間から隊員採用された。仙台が生んだ武勇の将・伊達成実公に繋がる亘理伊達家20代当主。