未曽有の感染症の蔓延に対し、全国協会はいかに立ち向かったのか。
行政との折衝、五輪への協力……。嵐のごとき日々を、今、顧みる。
文=文藝春秋メディア・プロデュース室 撮影=三宅史郎(文藝春秋)
ビルメン企業の経営・労務を襲った未曽有のインパクト
2019年12月の中国・武漢市に端を発し、瞬く間に世界中を襲った新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、我が国のビルメンテナンス業界にも甚大な影響を及ぼすこととなった。全国協会において理事・事務局長を務める杉山幸生さんが当時のことを振り返る。
「ホテルや興行施設などの休業、オフィスビルのテレワーク導入などで、経済的な打撃を被った会員企業は少なくありませんでした」
全国協会が会員企業を対象に実施した実態調査報告(2021年)によれば、コロナ禍によって「仕事の減少・消失」が生じた企業は66.0%、また「仕様減や減額要請」があった企業は61.0%にのぼった。移動や接触を防ぐという社会の風潮を受けて、特に「駅・空港等交通機関」では51.4%、「ホテル・旅館等宿泊施設」では52.5%と、5割超の企業が「仕事の減少・消失」があったと答えている。
「仕事の減少・消失」は、単に企業の収入減にとどまらず、仕事があるという前提で雇用していた従事者の労務(シフト)管理にも多大な影響を及ぼした。同調査では16.9%の企業がこの課題に直面したと回答している。
また高齢従事者を多数抱える雇用状況も、コロナ化による影響をダイレクトに受けることになった。
「何しろスタッフには、コロナウイルスに罹患した場合に重症化リスクが高くなる高齢者が多いですから、他業種と比較して緊張感が高まっていたと思います。その予防には細心の配慮を行いましたし、スタッフが発症したり、濃厚接触者になったりした時の人員の確保には、どこも苦労したようです」
反面、コロナ禍で生じた新たなニーズとして、室内の消毒、建物入口での検温、感染防止パーテーションの設置などの特需が発生。同調査で「顧客より消毒など仕事の依頼が増えた」と答えた企業も49.2%あり、いちはやく対応した企業はその仕事に奔走した。
「仕事がなくなったり減ったりした会社、消毒や清掃の需要が急増して多忙になった会社、いずれも慣れないことによる気苦労が多く、誰もが大変だったと思います」と杉山さんは語る。
コロナ禍で努力する企業の支援
「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(新型コロナウイルス感染症対策本部決定)により、国から「社会の安定の維持の観点から不可欠なサービス」とされたことに象徴されるように、ビルメンテナンスに対する国や国民からの期待は、以前にも増して高まった。
とはいえ、過去に例のない状況のなかで企業がさまざまなサービスを提供することは、まさに暗闇の中を手探りで進むようなものであった。
そこで全国協会は、業界団体として医学的見地に基づく「ビルメンテナンス業における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」や「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた宿泊施設の清掃等マニュアル」を策定。我が国の環境衛生を担うという自負のもと、困難な環境下でのサービス提供に立ち向かう企業を支援した。
「ガイドラインは、コロナ禍を迎えて間もない2020年5月に策定されました。協会の歴史のなかで蓄積された知見をまとめ、医療の専門家の先生方に監修をお願いして仕上げたものです。新型コロナウイルス感染症が5類感染症となった令和5年5月まで複数回改訂されており、ポストコロナ時代にも有用なレガシーになったと自負しています」
前述の調査では、ガイドラインについて35.1%の企業が「役に立った」と回答しており、実際に、それが業界におけるコロナ禍対応の指針となった。とはいえ、企業経営の厳しさは前述の通りであり、全国協会は企業をさらに支援するため、国やビルメンテナンス議員連盟、日本医師会等などの関係各所に対し、下記をはじめとする要望を行った。
要望の例(一部)
- ビルメンテナンス事業者に対する特別補償・優遇制度、税制支援の実現
- ビルメンテナンス事業者に対する衛生用品の支給・費用等の補助
- ビルメンテナンス事業者に対する感染拡大防止対策に係る仕様変更
- 雇用調整助成金の緩和・拡充
- 外国人技能実習生の研修機会の拡大、雇用維持支援
- 医療従事者に対する慰労金の委託事業者の従事者への拡大
このうち「ビルメンテナンス事業者に対する感染拡大防止対策に係る仕様変更」は、追加で費用の発生する感染防止対策を実施する場合に発注者に適正な費用負担を求める内容で、厚生労働省と総務省から関係省庁や各自治体に通知が発出された。
また、「雇用調整助成金の緩和・拡充」の要望は、中小企業への9/10への引き上げと雇用保険被保険者以外の労働者への適用を実現した。
さらに「医療従事者に対する慰労金の委託事業者の従事者への拡大」という要望も、大いに功を奏した。厚生労働省が実施した「新型コロナウイルス感染症対応従事者慰労金交付事業」は、当初、医師・看護師のみを対象としていたが、それに対し、院内清掃の8割以上が外部委託であること、院内清掃従事者は医師や看護師と同様の院内環境で働いており感染リスクは等しいことなどを訴えた結果、院内清掃従事者も対象に含まれることとなったのだ。
「全国協会が行政に対して積極的に働きかけたアピールが実った形です。医師や看護師といった職業と同様に、清掃従事者も、かけがえのないエッセンシャルワーカーとしての価値が認められたがゆえの成果だと思います。我々の声がきちんと届いたんだな、と感銘を受けた出来事でした」
そのほか、各企業においては、マスクや消毒剤等の衛生用品等の物資確保が困難になる事態が発生。前出の調査では、85.6%もの企業が直面したと回答した。いつ、どこで新型コロナウイルスと遭遇するかわからない状況のなかで、これを防ぐ資材が手に入らないことは、業務実施を脅かす事態に直結する。
そこで、全国協会では、各メーカーに協力を仰いで衛生用品等の調達ルートを確保し、会員が優先的に入手できるよう案内を行った。また、抽選にならざるを得なかったが、10,000枚のマスクを希望する会員に無償提供し、感謝の意を得たこともあった。
主要事業である教育体制の維持
コロナ禍の影響を受けたのは企業ばかりではなかった。全国協会もまた、激変した環境下での事業等の実施を余儀なくされた。特に主要事業である試験・講習は、いわゆる「三密」の回避や移動制限により、従来と同じ形での実施が困難になった。
「まず、いったん各種の試験・講習を延期せざるをえませんでした。中止という選択肢は考えられなかったため、再開に向けて急ピッチで検討と準備を進めていきました」
前述の通り、ビルメンテナンスは「社会の安定の維持の観点から不可欠なサービス」とされており、従事者の教育もまた長く止めることが許されないことから、コロナ禍でどのように教育を実施していくのか、検討が重ねられた。
「講師や受講者双方の検温やマスク着用、手指消毒の徹底、会場のパーテーション設置やソーシャルディスタンスの確保といった対策を徹底し、再開にこぎ着けることができました」
さらに、コロナ禍という過酷な状況で登壇する講師に対して、その労をねぎらうべく全国協会から慰労金を支給するなど、業界一丸となって教育の継続に挑戦した。
現在も多数の受講者を得ている感染制御衛生管理士(ICCC)講習は、そもそも、コロナ禍を経たことによって生まれた。「パンデミック下でも業務を止めない、感染しない、感染させない」人材育成を目指してスタートしたものであった。
その後、パンデミック下であっても確実に教育を継続できる環境を整備するため、講習・試験のオンライン化が本格的に進められた。その結果は本サイト「デジタル化の推進」で触れているので、参照されたい。
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の選手村でも活躍
コロナ禍による1年間の延期を経て、2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックにおいても、全国協会は重責を担った。晴海に建設され、世界各国から集ったアスリートたちの滞在先となった選手村のハウスキーピング業務を、全国協会を中心として結成された「ビルメン事業共同企業体」が受託したのだ。
「約1,000名のスタッフが集まり、まず練習したのは、笑顔の作り方でしたね(笑)。業務研修マニュアルは、ありとあらゆるシチュエーションを想定した内容となっています。今振り返れば、本当にいろいろなことが起こりましたが、あの選手村で繰り広げられた多彩な異文化とのコミュニケーションは、貴重な経験になったと確信しています」
しかしながら、コロナ禍における業務運営の裏側では、さまざまな苦労があったという。
まず、選手村のハウスキーピングにあたり、スタッフに安心して作業をしてもらえるよう、世の中にワクチンが出始め優先順位が決められてきた中、関係者への優先接種を実現した。
実際に業務がスタートしてからも、多岐にわたる問題への対策が求められた。例えば、暑さ対策。年々気温が上昇する近年だが、2021年の夏も猛暑が続き、感染予防や熱中症など、さまざまな事象に応じて、警戒を行わなければならなかった。酷暑の中、マスクを着用しながら重労働である客室清掃を提供し、毎日PCR検査を行い、手洗い・手指消毒を徹底し、スタッフの中から感染者を出してはならない緊張感に包まれる……。想像を絶する70日間だったに違いない。
世紀のイベントであるオリンピック・パラリンピックを総括して編まれた、選手村ハウスキーピング業務報告書の名は『笑顔とおもてなしの全記録』。コロナ禍の苦労を感じさせないこのタイトルが、素晴らしい成果を雄弁に物語っているといえるのではないだろうか。
